ぶたのひとり言

趣味のことなどいろいろ書いたりです。 この日記も整理中なので内容とか表現を変えるかもです。

きらわれ松子の一生

嫌われ松子の一生

下妻物語」をすすめられたが、最近テレビで放送されたとき、見る前に寝てしまった。でそのまま映画の日なので松子に突入。

映画の表現は
そのままだと、ひどくネガティブで暗くじめじめした話をユーモアを入れて、表現している。軽くミュージカルにもなっていて、なのに、昭和の世相なども交えてポップアートを見るような感覚で見られるようになっている。

映画の内容は(というか松子に関して思った事。ネタばれあり)
松子はだめんずウォーカーそのものである。松子はいつも普通の女性としての幸せな生き方を求めているのにいつもベクトルを間違えている。
けっして怠け者ではない、娘としても教師であっても、ストリップ嬢であっても、やくざとつきあっても、浮浪者みたいになってもいるときも常に自分の精一杯を捧げてしまう。精一杯やれば幸せになれると思っているから。つまりくそまじめなのだと思う。もっと適当に楽に生きればいいことを、自分の中で法則をたてて1か0かにしてしまう。
なのに肝心の努力を怠っている。自分や相手のことを深く考えることに対して怠け者だ。自分の間違いをただそうとしない。ある意味頑固である。(自分を否定するのがこわいのかもしれないが)それにまわりの人はそれなりに松子を愛しているのに松子は気付いていない。まわりの人の愛情に対してはいつも裏切ってしまう。それは自分のプライドのためかもしれない。そして自分を愛する能力のない人に愛をささげてしまう。松子の不幸はそこにある。きびしくいえば実はものすごく自分本意で相手不在の愛情なのだ。だから松子の不幸は自らが招いているようなもので同情の余地がない。
唯一同情するところがあるとすれば、バックグランドとしては父親との関係がある。病弱の妹にばかりかまう父に振り向いてもらいたくて、あれやこれやと父の顔色ばかりうかがってきた。それが人間関係の基本になってしまっている。

そうはいっても不愉快でないのはどこかとても人間くさくて(つまりこの世でそんなにうまく渡りあるける人はめったにいないからで)どこかたいていの人間なら自分にもあると思えるところがあるからではないか。自分でなくとも知り合いにここまでではなくてもこういう人がいて、ばかだなあと思いつつも、見捨てられない、そんなところがあるからではないだろうか。映画で言えば甥がそれにあたるのだろうが。

ちょっと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ともかぶるけど、この映画ほど展開が強引な感じはしなくて普通に感動し、楽しめました。原作があるからかもしれないけど。不幸話のいやらしさはそれほど感じなかった。やくざが松子を神格化するのも実際はどうであれ、彼によい影響を与えたのではと(つまり松子のしたことは無駄にはなっていないと)。

そうはいっても自分に照らし合わせてかなり痛くもあり、だから2度も3度も見たい感じではないけど。アートとしてはかなり面白かった。